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痛々しさと魅力

更新日:2020年1月3日



 

 前回の記事では、ウェブ上でしばしば感じられる「痛々しさ」に関して触れました。それについて少し、今まで考えてきたことを書いておきます。


 今や死語になりつつあります「中二病」という言葉。実施してもない謎の実験レポートをノートみっちり書いたり、男の子三人で集まって遊ぶときに全員がキャラクターバランス度外視でNARUTOで言うところのサスケポジションを意識したり、そういうのですよね。

若年層が陥りがちな嗜好に陥ったひとへの蔑称として、あるいは当事者の自虐として浸透したこの言葉ですが、時が経つにつれ、例えば剣と魔法の世界であるとか、そういった世界観を差して用いられることが多い様に思えます。

こうなるともはや蔑称としての機能は失われ、自虐として用いる際もどこか誇らしげな印象を受ける様になりました。随分ややこしくなったなぁと感じますが、これも根底にあるものが結局のところ魅力的であったからこその変遷ではないでしょうかね。


 傍目に見れば痛々しい様子とは言え、当人が好んだもの、をベースに作られた状態なわけです。表現力が拙いために他人に伝わりづらいながらその基盤にあるものは確かに魅力的であったはずなんです。

では「痛々しい」という感情を抱かせてしまう原因は、すべて表現力が拙いことが原因なのでしょうか。自身が感じた魅力を、部外者に伝えきれていないから?

これも百点満点の正解とは言えないような気がします。表現力が豊かで、受け取り手へも積極的に理解させようという意図が感じられても、それでも痛々しいものもあります。

単純に、何か自分に理解できない魅力に耽溺している他者に対して感じる感情が「痛々しい」なのでしょうか。


 見ていられない程に痛々しくて、それでも当人にとっては魅力的な物なんだろう、それでも理解したいとは思えない、そういったものを「痛々しい」と切り捨ててしまって本当に良いものか、と時々考えてしまいます。

私も魅力を伝えられなかったら痛々しいと切り捨てられてしまうのではないだろうか、そう思うと筆が止まってしまうことがよくあります。


 次は「可哀想と愛おしい」についてお話します。文字だらけ記事は次でいったん打ち止めかなぁ。


 

#雑記

 

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