幻想郷だけでも手一杯だというのに、畜生界という不可解な世界の登場で混乱しています。混乱の解消には妄想だ。妄想しかない。ということで鬼形獣やった頃からずっと考えていた鬼形獣時点までの畜生界の歴史を、妄想度高め(4割ぐらい)でお送りいたします。
畜生界のなりたち
そもそも、畜生界の歴史はその成立から二百年もありません。
畜生道とは、歴史上/神話上の敗者が後世に邪悪な獣に姿を歪められ伝えられていくことが起源となっているのです。
現在の支配者は自らが弑した旧い支配者からの報いを恐れ、やがてその恐れは形を成し、悪名の続く限りの命を約束された厄災の獣が生まれるのです。
それから時代が下り、宗教的に定義された死後の世界と統合され、天が死者に課す懲罰の一種として畜生道が誕生します。
天が形を成していたこの時代、畜生道は仏法に管理され、欲深い死人の魂を、新たに地上に生まれる獣に封じ込めるシステムが構築されました。
しかしながら欲深い死人の魂を持った獣は、里を襲い、人を食い、恐れを貪り、その力を恐れる人々が神と祭り上げ、あるいは魔物として語り継がれ、いずれも輪廻を脱した化生として生まれ変わることになるのです。
仏法によって御されても、時代に爪痕を残せば世界はその者の存在を許さなければならないという道理は変わらなかったのです。
もはや懲罰としては機能していないも同然でした。
輪廻を脱した化生が、それでも永らえることが出来たのは、人々の恐れがあってこそ。時代が下り、その恐れが「常識」によって薄れゆくことは彼らの消滅を意味していたのです。
極楽浄土は雲の上に無く、悪霊の巣窟も地の底に無い。そんな常識は天の神仏にとっても致命的なわけです。力を持った神も、悪魔も、仏も、妖怪も、各々が現世と隔たった「非常識の国」を創り、そこに移り住むことを選び始めたのです。
この時、さまざまな宗教観に定義された死後の世界がある程度統合され、冥府という言葉はそれらを統治する機関の名となりました。まず冥府は管理する死者の増加への対応、既成の死のシステムからの移行を試み、「死後の世界拡張計画」が施行されます。
この時に、新たな異界の地獄と共に生まれたのが畜生界です。
冥府の中の仏法を司る是非曲直庁は、「死後の世界拡張計画」に合わせてこれまで懲罰として機能していなかった畜生道のシステムを刷新することにしました。新たな規律は単純に以下の二つ。
「現在の欲深い魂を持つ獣たちが死んだ時はその霊をこの畜生界へ落とすこと。」
「今後の欲深い魂は、弱い人間の姿のまま、肉体を与えず畜生界へ落とすこと。」
またこれに伴って、従来の畜生道の理によって魔物として生きる獣たちの大規模な粛清を行いました。
しかしこの粛清の裏には合理的な取引がありました。「非常識の国」へ逃げ損ねた魔物たちを狙い、存在の保証と引き換えに、今後の畜生界で罪人に罰を与える役に任じたのです。
慶賀の至り
日本の天空に「勁牙の国」という妖獣の国を作ろうと画策した驪駒早鬼は、日本最大の「非常識の国」である幻想郷からの案内を拒否し続け、地上に存在し続けることを選びましたが、時代を読み違え、常識の魔の手に逆らえないまま冥府の提案を飲む形で粛清を受け容れました。
この時、驪駒は国ごと粛清を受けたため、家臣たちと集ってそのまま畜生界に国家を築いたのです。弱肉強食を宗とし、他国から畜生界へ落ちた動物霊も、力を持つ者のほとんどは勁牙の傘下に入りました。
勁牙の国の支配が及んでいない組織は「生存派」、「強欲派」と呼ばれました。
生存派は罪を償う意思はないものの、是非曲直庁に約束された第二の生活を信じ、謳歌しようという思想の者たちで、時に是非曲直庁に唾する勁牙には加担しないように振舞っていました。
強欲派は徒党を組んで、勁牙の築き上げた社会の旨みをかすめ取り、是非曲直庁に約束された以上の贅沢な生活を目指しながらも、目を付けられないよう勁牙とは距離を取って暮らしていました。
異質な存在であったのは、もともと非常識の国に収容されていたにも関わらず、内部で問題を起こしすぎたために畜生界へ引き渡された凶悪な怪物と、その怪物に集って共に罪を償い、勁牙と対立する事を選んだ鬼傑衆。
そして、是非曲直庁の言うことも全く聞かず、かといって強欲派と違って単独でしか動かない、話も通じず全員から災害として扱われた饕餮。
こうした勢力下に流入してきた無力な人間霊は、誰が始めたのか労働資源として活用され、いたぶられました。
しかしそれこそが是非曲直庁の望んだ懲罰の形態であるのだから咎められる筋合いなど無いと誰もが認識していたのです。
イドラデウス降臨
人間霊達の間に、古参の畜生共も元を辿れば自分と同じ受刑者である、という認識が広まるまでそう時間はかかりませんでした。この畜生界の実態は顕界にも噂され、次第に是非曲直庁の公平性が疑われるようになります。
事態を重く見た冥府は、問題児である勁牙に立ち向かった勇気と強い贖罪の意思を認め、鬼傑衆の頭目を条件付きで釈放することで、贖罪の意義を強めることを狙います。しかし頭目は、それで畜生界の根本的な問題は解決しないと見て、一旦は留まる決断をしました。
是非曲直庁が打った次の手は、埴安神袿姫を畜生界に送り込む事でした。この真の狙いを袿姫は知らされておらず、言われた通り刑務への報償として娯楽を提供する事業を立ち上げます。
多くの畜生共は、また畜生界での生活が豊かになるのだと考え喜びました。しかし、中には疑いの目を向ける者もいました。表向きには人間霊達の信仰によって神が顕現したと言われていても、是非曲直庁の動向を細かに観察していた者からは、その魔手が伸びたことが十分に感じられました。
特に反発を示したのが勁牙の王、驪駒です。驪駒は生前の経験から、宗教、特に神道の排他的な姿勢を多く見てきたものですから、今回も碌なことにならないに決まっている、と。理屈ではなく経験則で袿姫を糾弾しました。しかし、その感覚が共有できる家臣は少なく、勁牙の中でも袿姫を受容すべきかは意見の分かれるところだったようです。
この時、少しの間、畜生界から争いが無くなったといいます。あの饕餮すら大人しくなったのです。不安こそあれ、それを拭い去って余りあるほどに、新たな生活への期待に満ちていたのです。
それぞれの失望
畜生界へ埴安神袿姫が来て数年が経ち、徐々に畜生界は元の欲深い日常に戻りつつありました。
袿姫の提供する娯楽は常に斬新で、時に便利で、生活を豊かにするものでしたが、畜生共が微かに抱いた、欲深い日常を棄ててまでそれを得ようという思いは、長く続くものではなかったのです。
畜生共に罪を償う意思の無い事は分かっていました。彼らにはあるがままの畜生界こそが楽園である事も、分かっていました。それでも、新しい生活として自分の芸術が選ばれなかったことが、ここでも必要とされなかったことが、ただひたすらに悲しかったのです。
集ったのは、罪無き人間霊達。彼らは自らをイドラ教徒と名乗り、埴安神袿姫を崇めました。だから信仰を獲得するため、人間霊達の望む様に畜生共の労働資源に成り果てた人間霊を解放し、教団は見る見るうちに大きくなっていきました。
人間霊の機嫌も取れたうえ、畜生共への懲罰もできている。是非曲直庁の狙いはここにあったのです。
でもね、正直言って彼ら人間霊って、無力だからこの世界で罪を犯すことが出来ないってだけなんですよ。真面目に刑務にあたっているとはいえ、彼らにとっては安全地帯の提供まで付いて来てるわけですから、コストを支払っているとは言い難いんです。おまけか?あたしゃ。
埴安神袿姫は弱者を救済する神では断じてないのです。救いなど与えているつもりはないのです。怒りさえ湧いてきたのです。
袿姫の登場で、畜生界がちゃんとした贖罪の場に変わってくれることを期待していたのは彼女自身だけではありません。鬼傑衆の頭目もそうでした。頭目はこの有り様を見て畜生共へ失望するだけでなく、自らの贖罪の意義さえ疑うようになりました。結局、是非曲直庁の提案を飲んで冥府の別所にてとある仕事を任され、彼女はそこでさらに無意味な贖罪を目の当たりにすることになるわけですが……。
鬼傑衆は実質の解体を喫し、衝突する相手を失った驪駒は張り合いの無い生活を余儀なくされました。イドラ教に挑もうにも戦にならず、饕餮も何故か活動を停止するばかりか逃げ回る始末。家臣からも腑抜けたと言われ、勁牙の国は徐々に分裂し、規模も縮小していってしまいました。
生存派がイドラ教に怒りをぶつける中、吉弔八千慧は自らに、生存派としては異質な怒りの芽生えを感じていました。八千慧は幼い頃に畜生界へ落とされ、この畜生界と共に成長してきたのです。勁牙の国と鬼傑衆の争いは八千慧にとっては、童話めいた英雄譚であって、間近でそれを見て感じられて……そんな畜生界が自分の楽園であったのだと。
自分の怒りが、腑抜けた驪駒に向いているものと自覚した八千慧は、この停滞した畜生界を大きく動かします。
生き方なんてまた考えればいい
八千慧はまず生存派の畜生共を焚きつけました。生存欲求に従い様々な物を奪ってきた我々は、奪いとる悦びを知っているのだと。勁牙の蛮獣と我々と、何が違うかと。今一度、我々らしい生き方を考えるべきなのだ、今がその時だ、と。
生存派の多くを従え勢い付いた挙句、勁牙の国から抜けた者や鬼傑衆の残党をも吸収し、巨大に膨れ上がった組織を八千慧は「鬼傑組」と名付け、その長の座に着いたのです。
鬼傑組は驪駒へ執拗に喧嘩を売り続け、その存在をアピールしました。
たまりかねた驪駒はバラバラになった勁牙の配下たちを終結させ、鬼傑組に対抗して「勁牙組」を再結成します。
組長同士として初めて驪駒と相対した八千慧は言いました。敗者で居る悦びを私にも分けてみろ、と。
生存派が武力を得た以上、強欲派も黙ってはおれません。これまでの饕餮の動向を見て、強欲派の組長達は、饕餮の性質に気付き始めていました。饕餮は畜生界に活気がある時ほど凶暴性を増すのだと。
これから勁牙が力を取り戻し、鬼傑との争いが活発化すれば饕餮の足が強欲派に向いた時点で死は免れない。逆に言えばまだ弱っている今のうち、饕餮を強欲派に引き入れられれば我々は無敵になる。強欲派は同盟を結び、饕餮を取り囲んで、あなたが王になるべきなのだと説きました。
統治を好まない饕餮でしたが、世界に満ちる巨大な争いの予感を感じ、このまま誰も満たされないまま争い続けていられるなら、永遠に平定を見ない世がここにあるのならば、それは楽園なのかもしれないと、同盟長の座を受けることにしました。
これまでにない動乱の時代を迎えた畜生界の中で、霊長園に居を構えるイドラ教だけが停滞していました。失望の果てに一切の政務を放棄し、アトリエに引きこもるようになった袿姫に変わり、教団の権力を握っていたのは彼女の作品、杖刀偶磨弓でした。
磨弓は人間霊の解放運動の中で畜生界の空気を感じ、イドラ教が、自分と袿姫が、このままでいてはいけない。どう生きるべきか、何となくは分かっていたのです。イドラ教も、弱者救済という新たな形であれ、一つの畜生らしい生き方ができれば。
が、偶像に過ぎない磨弓にはどうすることもできないのです。どうか誰か、このままではいられない、と、突きつけてくれる誰かが居れば。
袿姫もまた、同じことを望んでいたのです。
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