東方よみかた艦、第二弾は鬼形獣1面ボスの戎瓔花です。
賽の河原について
たまに誤解されていますが、賽の河原へ送られる霊魂は水子のものだけではなく、親よりも先に死んだ霊魂全てとされています。その中でも水子の霊魂たちの集いが彼女の言う「水子の王国」であると言えます。
石を積むという罰は、彼ら子を産み育てた親の「労力を水泡に帰した苦」を味わわせるという事らしいです。
三途の河は仏教の考えが伝来したものですが、賽の河原は仏教の原典には存在しない、日本独特のものです。室町時代に書かれたものが賽の河原の描写として最も古いというので、かなり新しいようです。
死後の世界で生前の罪を償うというところや、懲罰に鬼が関わっているところを見るに、仏教的な考えが日本に浸透しきってから生まれた民間信仰、と言ったところでしょう。
蛭子と戎
二次創作で当たり前のように戎瓔花は蛭子(ヒルコ)と同一として描かれつつあるようで、私も興味深く感じております。
これは戎(エビス)という姓に端を発する説で、エビスと言うとビールか七福神を思い浮かべますが、この七福神のエビス神が蛭子と同一として語られることがあるのです。
そもそも蛭子とは、日本神話原初の神イザナギとイザナミが最初に産んだ神であり、三年経っても立つことができなかったため船に乗せて流されてしまったという、ずいぶん可哀想な神様です。
日本書紀にはこれ以降名前が出ないのですがしかし、「船で流された」という最後が描かれたためか、日本海沿岸のいくつかの港町や漁村では「うちに蛭子が漂着したことがあるよ」という逸話が残っています。
摂津では海の神として祀られていたり、石津太では五色の玉という石を残していたり。
こうして海を旅した様子から、漁業の神としての神格を得て、エビス神と同一視されるに至ったわけですね。蛭子と書いてエビスと読むこともある程度には浸透しているらしいです。
蛭子はなぜ石を積むか
賽の河原に、エビス神となった蛭子が住んでいるのは何故なのか。海の神としての神格を持ちながら、彼はそこに水子の王国を築くというセカンドライフを選んだのです。
時期としては、賽の河原に石積みの懲罰が生まれたのが先か、蛭子がそこへやって来たのが先かは不明ですが、戎瓔花の様子を見るに、元々あった石積みの懲罰を面白おかしいコンテストへと変えることで霊達に救いをもたらしたとするのが濃厚な線かと思われます。
ですが、あえて賽の河原に石積みを持ち込んだのが蛭子であるとする線を追うならばどうでしょう。石津太でも蛭子と石についての伝承が残っていることですし。
バベルの塔
日本神話と似た神話が、遥か西の地に存在します。シュメール神話と、それを元としたメソポタミア神話です。
シュメール神話では、ナンムという原初の神が、アンとキという二人の神を産み、またその二人が多くの神を産みだしたと伝えられます。
ところが時代を下ってメソポタミア神話では、アンとキの子であったエンリルが最も崇められ、彼は自ら指名した英雄マルドゥークと共に、ナンムを悪神ティアマトとして退治したのです。
(日本神話と似ているというより、最古の神話というだけあって世界中の神話のお手本のような存在というか、古代人の思考の根本を示すような話が多く、見ていて面白いので調べてみてください。)
さて、日本神話とシュメール神話ですが、大きな相違点として「シュメール神話には蛭子に相当する神がいない」というところがあります。
つまり、三年立てなかったから追放したなんていう理由は実は建前で、イザナギとイザナミはひょっとすると「最初の子」が築く国の失敗を予知していたーーあるいは学んでいたーーのではないでしょうか。
エンリルとマルドゥークが築いたバビロニア帝国は、後に滅亡します。歴史研究では戦争で滅びたとされていますが、旧約聖書にはバビロニアの民が作り上げたであろう、ある都の話が記されています。
要約すると「その都はそびえ立つ煉瓦の塔で、天にも届きそうであったため神は都の人々の言語を乱し、会話ができないようにした。すると人々は都を作ることを止め、各地へ散っていった。人々はこれを滅亡と言った。」ということです。
こちらを滅亡の真相とするならば。
蛭子はなぜ石を積むのでしょうか。
水子の王国、戎瓔花が築こうとしているものは一体何なのでしょうか。
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